きねこは街の片隅のボロアパート二階にて売り物を磨いている。毎日磨いている。
売り物は自分の体。これを売り、(注)サモサを買って食って売って、買って食って売って過ごしている。
売り場は近くのうらぶれたボロ宿だ。ここに売り物の熟女が集う。
ある日青年がやってきた。紙切れを頼りにやってきた。青年はおぼつかない足取りで、口調もぷるぷるしていた。
「この電信柱に貼り付けられた紙切れに、きねこさんという女性とここのじゅ、住所が載って…の、のの、載っていたのですが…」
受付のおばちゃんは「ああ〜、きねこなら今日も出勤だよ」とぶっきらぼうに答えると、「きねこ〜! きねこ!」と大声で呼んだ。
きねこが部屋のドアを少しだけ開けこっそりと顔を覗くと、ギョッと驚いた。
青年はかなり若く、アイドルのような可愛らしい顔つきをしていたからだ。
要は好みだった。
きねこは焦った。
「まずい、チラシの顔はかなりというか相当、修正している。」
いつもなら客が好みでないから気にならないし、何を言われても平気だが、この場合は別だ。
嫌だ。アイドル系の彼に「写真と違って器量悪し」と言われたくない。どうした事か…
「きねこ! ご指名だよ! 早く出ておいで。何してるんだい!」
受付のおばちゃんの怒号が飛ぶ。
「おばちゃん待って。まだおしろいや紅を塗っていないのよ。」ベッタベタに塗っているが、咄嗟に言い訳をする。
「暇ならあったろう! 何をそんなもたもたしているんだい!」なおもキレるおばちゃんに、青年が不安を感じ焦ってきた。
「あの…こ、今度でいいので…」
おばちゃんは折角の客を失うと思い慌てながら、「待ち待ち! ここ座り! みかん食い!」と言うと青年を赤いアンティークの長椅子に座らせ、横にみかんの積まれたザルを置いた。
「おばちゃん家のみかんだよ。食わん気か?」と言い、半分脅したので青年は色々恐ろしくなり、黙って待つことにした。
おばちゃんはザルのみかんを一つ取り、皮をシャンデリアのように剥き一房食べながら「とにかくきねこは急ぎい! まったく何やってるだか」と吐き捨てるように言った後、種を青年に吐きつけた。
「あうつっ!」思わず青年が仰け反ると、「あ〜ごめんっけな。おばちゃんの腹巻きで拭いてやるわ」と言い、装着していたホカホカの薄ピンクの腹巻きで顔を拭いた。
青年は少し泣きながら「アスファルトジャングル……きねこさん…」と呟いた。
きねこはとにかくなんとかしなければと思い、お面を被る事にした。部屋に天狗の飾り物としてお面があったからだ。
「おまたせしましたわ! お部屋に通して下さい」
そう言うとおばちゃんは「待たせて悪かったねぇ、これ持って行き」と言い、おばちゃんのブロマイドを渡した。
青年は死んだ小魚の目でそれを受け取り、案内されたきねこの部屋へ向かった。
息を呑み、部屋の引き戸をそろりと開けるとそこには天狗がいた。青年はひぃと驚き、「あ、ま、間違えました」と言い、戸を閉めようとした。
きねこは間髪いれずに「私こそがきねこです。お入りください」と言うと、両手を孔雀のように広げた。
青年はしばらく戸惑いながらも片足ずつ部屋に入った。
「ようこそおいでくださいました。私はきねこ。チラシの写真の通りのきねこですわ。」
きねこは割りと厚顔無恥だった。
青年はきねこの前で水の中で冷えた豆腐のように緊張しながら正座している。滴る冷や汗をハンケチで何度も拭っている。
「何かおっしゃって下さらないの?チラシの通りのきねこなのに」
きねこは厚顔無恥だ。
青年は恐る恐る口を開いた。
「あの、きねこさん。なぜ天狗のお面を? お顔が見たいのですが…」
「あらぁ、これはね、価値のあるお面よ。昔餅祭りでここの店主が購入したお面ですから。」
青年はキュッと唇を結び、少し強い口調で言った。
「でも、餅祭りのお面より、きねこさんのお顔のほうが僕にとっては価値がありますから。」
きねこは胸キュンした。青年が素敵すぎる。もしかして修正していない顔でも受け入れてくれるのではないか。
「ありがとう。貴方、名前はなんておっしゃるの?」
「僕は福生です。岡山福生です。」
「あら、ふっささんておっしゃるのね。髪の毛がふさふさですものね。」
「はい。さすがはきねこさんです。尊敬する両親が、髪がふさふさになるように名付けて下さったんです。あと、若い頃福生に住みたかったらしいです。」
「あらぁ、素敵なご両親ね。頭をナデナデしたいくらい素敵だわ。」
「僕もそう思います。ありがとうございます!」
福生は顔がいい上に、道徳的で礼儀正しいのか。良い。きねこはジュンとした。
「ねぇ…」
「なんでしょうか?」
「お面、取ってもいいわよ。」
「本当ですか!」
青年は発光ダイオードのように目を輝かせた。
きねこは何も言わずにお面をゆっくりと外した。
青年はきねこの顔を凝視しながら凝固してしまった。
きねこは「あ、やっぱりだめだった」と思った。
誰もいないビルにいるかのような静寂に堪えかねたきねこが口を開こうとすると、先に青年が叫んだ。
「やはり!」
きねこはビクドキッとして「ひんっ」と言ってしまった。
「やはりだ…」
「何がなの?」
「ゾウリムシに似ている…」
「え?」
青年は沸騰したお湯のように顔を赤らめ興奮し、捲し立てるように続ける。
「電柱の紙切れを見た時、少しだけゾウリムシに似ていると思ったのです。どうしても気になってここへ来たんです。実物を見たら紙切れより断然ゾウリムシに似ていて、嬉しくて感動しました! 僕はゾウリムシのビジュアルが大好きなんです!」
きねこはとても複雑だった。
器量が良くないのは自覚していたけれど、ゾウリムシなのね。修正しまくった写真もゾウリムシだったのね。でも福生くんが好きならば嬉しいような…いや、嬉しいわ。と考えた。
「ありがとう。よく言われますわ。」
初めてだったがなぜかそう言った。
福生はまだとても緊張した様子で、右を向いたり左を向いたりして暑い季節でもないが「ふぅー」とハンケチで顔をぬぐったりしている。
きねこが言った。
「福生くん。ここが何のお店かはご存知でいらっしゃったのよね?」
福生は一瞬戸惑ったが、震える声で「はい。知っています。」と答えた。
「それなら福生くん。早速始めましょう。」
きねこは着物をスルスルと脱ぐと、福生の固唾を呑む音が聞こえる。
きねこは掴んだ。
部屋に置いてある大きなペンチを掴みとり、自分の腹肉に押し当てた。
そして思い切りペンチで腹肉を引きちぎり、手で捏ねて捏ねて捏ねて丸くした。
「はい。出来たわよ。」
そう言って腹肉の塊を福生に渡した。
「ああ…夢にまで見たきねこさんの腹肉…」
福生は頬を紅潮させながら腹肉を受け取ると、両手で顔のそばへ持っていき、目を閉じた。
ガンジス川の音が聞こえる。きねこがよく食べているサモサのせいだ。
しばらく堪能した後、福生は目を開けきねこに想いを告げた。
「素敵な人の腹肉は最高です。僕、初めてなんですこういうの。チラシでゾウリムシに似たきねこさんを見てから、どうしても腹肉が欲しくて仕方なくなりました。失礼ですがこういう所はいかがわしい場所だと思っていたのですが、実際に来て凄く心に平穏が訪れましたし、感動しました。ありがとうございます。」
きねこはとても嬉しかった。きねこが腹肉を売り続けているのはこういう言葉が聞けるからだ、と再認識した。
「良ければまたいらしてね。それとその腹肉は、置いておくと綺麗な蓮が咲くのよ。是非飾って下さい。」
「これは花が咲くタイプなのですか! 珍しいですね。僕や友人達の腹肉は、置いておくと部屋の消臭にしかならないのですが。」
「一応これで食べていますからね。ここの宿の女性の腹肉は、水道水がピュピュっと出るものから置いておくとつむじ風が起こるものまで様々ですわ。色々な女性の部屋を尋ねてみるといいわ。」
福生は初めての買腹体験にとても興奮し、何度もお礼を言うと去っていった。
きねこはちぎれたお腹を捏ねて捏ねて捏ねて元のお腹に戻すと、今日働いて得た金でサモサを買って食べ、また腹肉を蓄えた。
なじみのサモサ屋の店員に、「私ってゾウリムシに似ているかしら?」と尋ねると、「うーん、ゾウリムリはよくわからないけれど、人間じゃない何かだとは前から思ってました。」と笑顔で言われた。
きねこは笑いながら「そうね。それでも案外幸せよ。」と言うと、軽い足取りでボロアパートへ向かっていった。
きねこの注釈:サモサはインドの揚げ物よ。おいしいわ。
おわり